だるい話NEO

引っ越したらしく

フェルンゼー

尾米タケル之一座「菜ノ獣」を見た感想について。以下ネタバレ

 

 

冴えない公務員の男ミヤタが上司のオオハラから命令を受けるところから話は始まった。命令の内容は行方不明になったミヤタの同僚カドタを探すためカドタの仕事場である「ファーム」というところへ行くことだった。この時ミヤタと一緒にムラカミという裏稼業(?)の男が同行する。

 

この話の世界ではベジタブルマンという生き物が出てくる。ベジタブルマンは頭から植物の芽が出ていて緑色の植物を模したかのような衣装を身にまとっていた。ベジタブルマンという名前だし科学の力で植物と人間が一体化したということを表現したかったのだろうかと思った。

 

ミヤタとムラカミが最初に会ったベジタブルマンはファームで働く職員としてのベジタブルマンだった。人間に近い外見ながら荷物の置き方が乱雑、お茶を出す優先順位が分からないなど人間よりかは知能が遅れている描写があった。しかしこの段階では成長の途中なのか意図的に成長させないのか分からなかった。

 

ファームの職員たちと会うミヤタとムラカミ。所長のゴトウダがベジタブルマンには肉牛みたいに等級があると話したり前述のベジタブルマンに対して「これ以上美味くならないかハハハ」と笑うところはブラックだなと感じた。そしてこのファームという施設が持つ役割が何らかの欠陥を持つベジタブルマンたちを更生するためのものであるということも告げられる。

 

ファームの職員でベジタブルマンの研究者ザイゼン、クボも登場する。更生を受けているベジタブルマンも登場する。彼等は研究対象「研対」と呼ばれていて日々自らの商品価値を高めるように更生を受けている。更生の一環として「想像」というものがあって食料やドナー、代理出産などで人の役に立つところを想像してそれを語るというものがあった。そこでネガティブな想像をしたり順番を守らず想像を語る研対がいてなるほどだから更生を受けているんだなというのが伝わってきた。

 

研対は前述の職員役のベジタブルマンよりもさらに知能は劣るらしく「見た目は大人頭脳は子供」といった感じだった。

 

話の序盤ではベジタブルマンはクローン技術によって生み出された人の形をした家畜、それも単に食用ではなく様々な用途に使われることが可能なさながら「上級家畜」「上級使役動物」なのだろうかという印象を受けた。ムラカミの発した「いつからこの国は食に対して関心が~」といった旨の台詞でもそう感じた。

 

ここまでは「クローンによってこういう生き物も作ることができますよ、それって倫理的にどうなんですか」ということをこのお芝居を書いた尾米タケル氏は伝えたかったのかなと思った。

 

いなくなったカドタの詳細を調べるためファームの施設内を探るミヤタとムラカミは研対たちにも接触をはかる。

 

最初にミヤタたちは一人で歌を歌っていた女性の研対(研対2)に出会う。その時彼女は「わたしのぜんぶのそのすべて どこかのだれかのためのもの どこかのだれかはだれだろう わたしはだれかのなんだろう」という歌詞だった。人間のような外見でありながら人間のために役に立つだけとしての「モノ」みたいな扱いの研対が「自分は一体誰なんだろう」という自我を持ち出しているような歌詞と切ない歌い方が印象的だった。

 

その後もミヤタたちは色々な研対たちの話を聞くことでファーム内ではちょくちょく人が消えるということを知り、このファームにはどうも何やら裏があるという空気が徐々に漂ってくる。また、研対たちが牛を見ると牛は野蛮という理由で石を投げつけるなど奇妙な行動をしだすようになる。この段階ではなぜ投石するのか理由は分からないままでなんとなくコミカルな描写として処理されていく。

 

そんな中突然サイレンが鳴り出す。ファーム内で人間が殺されるという事件が発生したのであった。改めて全部見た後で思い起こせばここが起承転結の起から承だったなと思った。

 

ファーム内での殺人により屋内退避する人間側の面々、一方人間側の都合で厩舎には戻されず屋外で一ヶ所に固められる研対たち。このあたりから研対たちがかわいそうという感情が出てきた。そして殺人事件はなぜか「事故」という形になっていた。

 

屋内退避が解除され再び歌を歌っていた研対2に会いに行くミヤタ。ここで研対2はテレパシー(あるいはテレパシーのようなもの)を使えるということが判明する。テレパシーの精度が高すぎてあらぬ誤解もあったもののミヤタと研対2の間に人とモノとしてのベジタブルマンではなく人と人とのような感情が芽生えたように思えた。それを愛と言ってしまえばクサいのかも知れない、でも何か新しい動きが起こりそうな雰囲気を漂わせる感じがあった。その感じは研対2の「研対としての扱いは言うほど辛いと感じてない」という旨の言葉からも伝わってきた。

 

この場面のあとでミヤタと前述の歌を歌っていた研対2以外の研対とも会話をするところがあった。そこではなぜこのファームにいる研対たちが「ベジタブルマンとして」欠陥があると判断されたのか、その理由について語る場面があった。

 

ある研対は文字を書いたことがベジタブルマンとして不適切であったために更生施設に入れられたと語った。ある研対はおかしな言動が、ある研対は大食いだからという理由で入れられたと語っていた。

 

そしておかしな言動が原因で更生施設に入れられた研対(研対3)が「実はベジタブルマンになる前は人間だった」と衝撃の告白をする。その研対はベジタブルマンになる前はモトミヤという研究所の職員だった。だがしかしある時モトミヤはベジタブルマンに対するタブーを見てしまったことがばれてしまい口封じにベジタブルマンへと洗脳させられそうになり今はベジタブルマンの「フリ」をしているのだと語った。

 

一方ザイゼンがベジタブルマンたちにヘッドギアを装着させて何やら洗脳もしていた。涙を流すベジタブルマンたちに洗脳を秘密にするよう指示するザイゼン、何やら怪しげな雰囲気が漂う。ゴトウダはゴトウダで嫌がる研対2に対して自身を鞭で打たせていた。

 

このあたりからベジタブルマンは、ひいては菜ノ獣という作品は単純にクローンのことを問題視したいだけではないのかも知れないという感情が徐々に起こってきた。

 

その後行方不明だったカドタが見つかり急遽調査終了となる。ムラカミはムラカミで何やら研究所職員の裏側を探っていた様子だった。

 

カドタが見つかったことやベジタブルマンたちとの会話をムラカミに伝えるミヤタ。モトミヤの一件もありミヤタには既にこのあたりから使命感のようなものがあったのかも知れない。オオハラに対して反旗を翻したいという旨をムラカミに訴えるミヤタ。それに対して冷静になれとミヤタを抑えるムラカミ。ミヤタの若さから来る青臭い正義感という感じだった。ついにムラカミはミヤタに銃を向ける。感情的になっているミヤタは「一人くらいベジタブルマンのために死ぬ奴がいてもいい」と言い放つ。ここでムラカミがミヤタを殴る。そして「(ベジタブルマンたちの現状を見て)死にたいなんて言うのは逃げているに過ぎない(中略)人生を賭けろ」といった旨の言葉で熱く諭した。

 

ミヤタとムラカミが去る前にベジタブルマンたちがどれだけ更生したかの確認として再び「想像」が行われる。この時研対3が一瞬モトミヤになるところが自由を渇望しているようで切なかった。そんな中ネガティブな発言をしていた大柄な研対(研対4)に対してクボが「豚の餌になるか」と暴言を吐く。煽るクボに止めるザイゼン。そしてここで煽られた研対が暴走してクボを襲う。

 

研対がクボを襲いパニック状態になる。しかしどうも様子がおかしい。研対は襲うのをやめてしまったのだ。そしてクボがベジタブルマンに人殺しをしていたと衝撃の告白をしだす。クボの話によるとベジタブルマンたちは日常的に虐げられていてそれはついにどれだけベジタブルマンを無残に殺せるかという「惨殺ゲーム」が遊びとなるまでになってしまっていた。それに対して嫌気が差したクボはベジタブルマンたちを使って人間を殺人をやっていたという。また、この施設がベジタブルマンたちを兵士に育てようとする施設であることも告白される。

 

ここの部分を聞いてベジタブルマンとは差別されていた人たちのことを言いたかったのだろうかと思った。「~人だから」話の序盤まではベジタブルマンとはクローンのことを比喩したかったのかと思っていたのだが印象が変わっていた。

 

クボの告白に激昂するザイゼン。ここでムラカミがザイゼンがベジタブルマンたちの洗脳の内容を暴露する。ヘッドギアを使ってベジタブルマンたちに見せていたものは昔の映画だった。ムラカミの口から「かつて映画が一部の強者だけのものではなく~」と語っていたところが「あぁこの話の中のファームの外はディストピアなのかな、社会の闇を全部ファーム内で処理しているのかな」と思った。

 

ゴトウダの鞭にしてもゴトウダ自身がマゾヒストではなく本当はベジタブルマンたちを兵士にしたくないのに兵士にすることが嫌だったという自戒の意味で鞭を打たせていた。この時ゴトウダが高倉健みたく「不器用ですから」と言っていたのがシリアスな中で急に笑いが入り面白かった。 

 

カドタの失踪事件をきっかけにファームに行きベジタブルマンがどのようにして生まれてきたのか真相を知ったミヤタ。任務を受ける前と後とでは顔つきは大きく変わっていたように思えた。それまでは仕事場を往復するだけの単調な毎日を送っていたがベジタブルマンたちに会い、彼等の境遇を知ったことでベジタブルマンたちを助けたい、守りたいという使命感を帯びた逞しい男になった、そんな感じがした。

 

ファームで起きたことをオオハラに報告するミヤタ。オオハラに対して頭を下げた時のミヤタの「今に見ていろよ」と言わんばかりの苦みばしった顔が印象的だった。報告の際ムラカミからもらった写真をオオハラに渡すミヤタ。ここでオオハラが豹変する。なぜならばミヤタがムラカミだと思っていた人物はムラカミではなく元農務局員のキタジマという男だったからである。

 

その時ミヤタたちが向かったファームでテロが起きてパニック状態になる。ファーム内でのパニックに対して職員の安全より自己保身を優先させていたオオハラの姿は中間管理職的でありこの話における真の黒幕は他にいるんだろうなと思った。

 

ふと「ミヤタさん」とミヤタを呼ぶ声がする。研対2の声だった。テロがあってもテレパシーが来たことに安堵するミヤタ。その一方でベジタブルマンたちを守りたいという心から逃げ出せとミヤタは伝えるが命令があるから逃げられないと答える研対2。

 

テロが起きた後ムラカミもといキタジマに会うミヤタ。この時既にミヤタは農務局を辞職していた。この時はまだファーム内でのテロがキタジマの手によって起きたと思っていたミヤタはキタジマに対して怒り心頭であった。確かにああいった形で正体が分かった直後にテロが起きればあの写真は「犯行予告」の演出であるようだと感じた。

 

しかしキタジマはテロリストではなく告発により非武力的にベジタブルマンたちの真相を伝える、ひいては国を変えようとする人物であった。言うなれば市民オンブズマン…みたいな感じだろうか?

 

最後の台詞はミヤタ「ベジタブルマンって一体何なんですかね」キタジマ「それはな…」で菜ノ獣というお芝居は終わった。

 

最後の「ベジタブルマンとは一体何なのか」というのがこの作品のキモなんだろうなとそう感じた。大学入試の国語の問題にありがちな「この作品を通じて作者が伝えたかったことは何か」じゃないけれど作者である尾米タケル氏は作中の場面場面で「元ネタって~なんじゃないか」という推測が変化していくベジタブルマンを通じて何か一つのものではなく社会問題、社会病理全体に目を向けて欲しいというのが伝えたかったのではないかなと思った。

 

個人的にベジタブルマンを通じて伝えたかったのかなと思ったのは

 

・クローン問題

・差別問題

・言いたいことが言えない社会構造(転換の時に研対たちが「人間だった頃」のような姿と研究所の職員たちの頭からベジタブルマンの頭に生えていた芽が生えていた描写に加えて研究所の職員3人が皆ベジタブルマンたちを兵士にさせたくなかったけれどそれを表に出せなかったという共通点があったことなどから)

 

だった。もしかしたらもっと他に伝えたいこともあるかも知れないが。

 

そしてそんな重い話のところどころにほどよいタイミングで笑い(ババア、鞭、石と意志、ご奉仕等々)を入れることで無駄に重苦しくさせずに仕上げたというのも上手いなと思った。

 

加えて色々なところをあえて「ぼかした」ところも芝居を見た人の想像力をふくらませることに成功していたと思う。例えばキタジマの農務局員時代はどんなだったのか、ファームの外の一般市民はベジタブルマンたちを研対たちのような人間態を思っているのかそれとも情報統制がされていてSNSのキャラクターのような漠然としたものと捉えているのか等。プレバトの俳句で夏井先生が「読み手の想像力を信じる」というのと似ているのかも知れない。これらのことを詳しく描写していたらもしかしたら野暮ったくなっていたということも考えられる。

 

手短にまとめるのが下手で長文になってしまったけれど「菜ノ獣」は色々なことを考えさせられるそんな作品だったなと思った。